シェフ 松久信幸 (前編)

藤巻幸大が各界で活躍する方々をゲストに招き、“モノとのつきあいかた”を語り合う「ゲストインタビュー」。今回のゲストは世界的なシェフであり、五大陸に31店舗もの日本食レストランを展開する希有なレストラン経営者でもある、松久信幸さん。虎ノ門にある「ノブ・トーキョー」でお話を伺いました。(前編)
後編はこちら

料理人にとって、皿は
キャンバスのようなもの

藤巻 僕はインテリアが好きなので、レストランに行くとつい、床から天井まで舐めるように見渡しちゃう悪癖があるんですが、「ノブ・トーキョー」はどこを見ても素晴らしい。まさに、ノブ・ブランドですね。
松久 ありがとうございます!
藤巻 調度品や器、しつらいなどはすべてノブさんが決められているんですか。
松久 そうですね。僕がデザインした皿もあります。
藤巻 ご自分でデザインまで!?

松久 「熱い料理は熱いうちに、冷たい料理は冷たいうちに」ということで、細心の注意を払いながら料理を運ぶんですが、皿が温まっていると指紋がつきやすくなるんです。お客様は食べ終わるまでずっとそのお皿と向き合うわけですから、綺麗な状態でお持ちしたいというところからできたのが、この洋皿です。かれこれ10年前ぐらいになるでしょうか。
藤巻 洋皿なのに、和柄が入っているんですね!
松久 日本の食器には必ず「正面」があるけれど、洋食器にはない。こうした絵があると、日本文化についてまだ知識の浅いスタッフでも直感的に理解できるんです。
藤巻 これもひとつのクールジャパンですね!

松久 僕の活動は海外がベースだけれど、生まれ育った日本の文化も大切にしたいんです。この皿には時計柄もあって、そちらはさらに外国の人でもわかりやすい。「料理を持っていくときは、必ず“6”を手前にしてサーブする」と覚えればいい(笑)
藤巻 お皿1枚1枚にも、ものすごく気配りがなされているんですね。
松久 我々料理人にとって、皿はキャンバスのようなものですから。
藤巻 こちらの角皿もとってもチャーミングです。
松久 これは「銀ダラの西京焼き」を載せるための皿なんです。
藤巻 ええっ、銀ダラ用ですか!
松久 世界中のどこのノブでオーダーしても、この皿で出てくるんです。料理の味だけではなくて、見た目でも統一感が出せたらいいなと思って。
藤巻 世界がひとつにつながっているんだ。楽しいなあ。

ワイングラスと
大吟醸の幸福な出会い

藤巻 ノブさんのレストランでは、日本酒にもこだわっていらっしゃるそうですね。
松久 30年来、新潟県佐渡の北雪酒造が作っている大吟醸だけです。ずっと浮気していない(笑)
藤巻 これ1本ですか!?
松久 友達が自宅に持ってきてくれた日本酒があまりに美味しいので、ぜひ仕入れたいと直接頼んだのが出会いのきっかけです。
藤巻 僕の友人でも海外のお客さんに日本酒の良さを理解してもらおうと悪戦苦闘している仲間がいます。ノブさんもご苦労があったんじゃないでしょうか。

松久 最初は冒険でした。当時、米国のレストランでの日本酒の相場はだいたい、一杯3ドルぐらい。でも、この酒は11~12ドルもらわないと採算がとれない。
藤巻 3倍近い値段になってしまうわけですよね。
松久 最初はオーダーもほとんどされませんでした。でも、なんとか楽しむきっかけを持ってもらおうと、冷やした青竹の筒に入れて、青竹のぐい呑みで飲むというスタイルを提案したり、いろいろプレゼンテ―ションもしました。そのうち、クオリティの高さも伝わり、「あのバンブーをくれ」と名指しで注文してもらえるようになったんです。
藤巻 日本に必要なのは、その不屈の精神ですね。“いいものなのに、わかってもらえない”なんて嘆いている場合じゃない
松久 「ワイングラスで大吟醸を飲む」というスタイルも提案しています。大吟醸はおちょこで飲むより、ワイングラスぐらい深みがあるもので飲んだほうが、アロマが楽しめると思うんですよ。しかも、おしゃれだから女性も飲みやすい。
藤巻 なるほど。お酒をついだり、つがれたり……という、日本のお酌スタイルが苦手だという女性は多いですもんね。
松久 ただ、ワイングラスの一番の欠点は背が高いので倒れやすいこと。そして、こう倒れると必ず割れてしまうことなんです。(グラスを倒しながら)こうすると、ほら!

藤巻 うわー! ……あれ?
松久 というわけで、割れにくいワイングラスを開発してもらったんです。
藤巻 えー!
松久 クリスタルに特殊コーティングがなされていて、ちょっとやそっとの衝撃じゃ割れないようになっているんです。テーブルに打ち付けても大丈夫。

藤巻 うわっ。これは欲しい……。僕、酔えば酔うほどおしゃべりに夢中になって、必ずグラスを倒すんです。この間なんて、4つも割っちゃって「店が気の毒だから、もうワイン飲まないでください」って禁止されたぐらい。
松久 1個あたりの値段はふつうのワイングラスの10~15%高いぐらい。でも、割れる個数が減るので、全体のコストは下がるんですよ。NYの店では週24個割れていたグラスが4個に減ったというデータがあります。
藤巻 素晴らしいですね。

世界31店舗を経営する
オーナーシェフが誕生した理由

藤巻 海外で料理人として成功するだけでも凄いのに、ノブさんはさらに31店舗ものレストランを経営までされている。そもそも、海外に行こうと思ったのはどうしてだったんですか。
松久 僕は小学校1年生のときに交通事故で親父を亡くしているんです。親父の遺品のなかに、パラオで撮った写真があって、寂しくなるといつもその写真を見ていた。いつか、自分も父親のように外国に行きたいという憧れがあったんです。
藤巻 ノブさんが寿司と出会われたのはいつ頃ですか。

松久 小学校6年生の頃です。ひと回り上の兄貴が鮨屋に連れて行ってくれた。初めて足を踏み入れたときから、寿司屋独特の匂いやスタイル、何もかもが好きになり、僕も寿司屋になろうと決めていました。でも、寿司屋に就職した後、ペルー在住のお客さんから「ペルーで店をやらないか」と声をかけられたのは、ホント偶然です。ふたつ返事で「行きたい!」と。
藤巻 そこから、ノブの歴史が始まるわけですね。
松久 あの頃は毎日が失意と挫折の連続でした。今思えば当たり前のことなんですが、海外では日本と同じ食材は手に入らない。納得のいく食材を手にいれようと思ったら、コストがかさむ。でも、共同経営者からは儲けを第一に考えろと言われる……。
藤巻 ジレンマですよね。
松久 ペルーの店を辞め、アルゼンチンの和食レストランで働き始めたけれど、お店も暇ですることがない。結局、日本に帰国したけれど、折悪く、オイルショック直後で景気も悪い。もう一度だけ海外でチャレンジしたいと女房を説得し、アラスカに渡るんですが、そこでさらに大きな挫折を味わうことになります。


松久信幸
まつひさ・のぶゆき●1949年埼玉県生まれ。小学1年生の時に父親を交通事故で亡くす。高校卒業後、東京の寿司屋・松栄で7年間修業をした後、24歳でペルーに渡り、パートナーで寿司屋を経営する。その後、ブエノスアイレス、アラスカを経て、87年にロサンゼルスに「MATSUHISA」を開店する。94年にはニューヨークに「NOBU」をオープン。以来、ロンドン、ミラノ、ギリシャなど各国に次々とレストランを展開。

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