江戸時代、篤姫の養父であった島津家28代当主・島津斉彬が育てた美術工芸品「薩摩切子」。一時は幻となっていたその匠の技が、島津家の末裔である島津興業によって復元したのが1985年。再び動き出した歴史の中で、伝統を継承しつつさらなる進化、発展を遂げる「島津薩摩切子」が描く色彩美とは――。
緻密なカットとグラデーションで
宝石のようにきらめく薩摩切子
ひと目見た瞬間きらびやかな輝きに思わず釘付けになる「薩摩切子」。その名は知らずとも篤姫を主人公にし一代ブームを巻き起こした"あの"大河ドラマのオープニングで使われた切子と聞けばピンとくる方も多いかもしれない。江戸時代に島津家28代・薩摩藩主 斉彬の命により発展した美術工芸品である。贅沢すぎるほどに厚く被せられた鮮やかな色ガラスと、そこに刻まれた大胆さと繊細さを合わせ持つ切子模様。緻密なカットによって生まれる優美な色彩のグラデーション。小さなガラスの中に表現された数多の匠の技が宝石のようなきらめきを放ち、乾杯のひとときをより豊かな時間にしてくれる。そんな奥深き美の背景には、江戸時代から現代へと受け継がれてきた、鹿児島で生きる人々の故郷に対する愛情と情熱によって紡がれた歴史があった。
豪華寝台列車でも使われる
薩摩切子復興の立役者
幕末当時、諸外国が植民地政策を活発化する中で、その脅威に武力だけではなく国を豊かにすることで対抗しようとした島津斉彬。そうした国際人としての斉彬の先見性と、藩主としての国を思う心が海外交易品としての薩摩切子を生み出した。ところが、薩英戦争による工場の消失や斉彬の死によりわずか20年でその歴史は終焉。一時は幻となっていたが、島津藩の末裔である島津興業が、鹿児島県からのオファーを受け、斉彬の想いを受け継いだ「島津薩摩切子」として見事に復元。復元当初は鹿児島県民にも薩摩切子を知る人は少なかったというが、その技術力と芸術性の高さが徐々に話題となり、今や鹿児島県を代表する工芸品の一つとなっている。近年では九州を走る豪華寝台列車で、ツアー中に提供される料理にも使われるなど、その知名度は全国区だ。
島津家の威信をかけ手探りで
スタートした復元事業
一口に復元といってもその道のりは険しく苦難の連続だった。というのも斉彬が在位したのはわずか8年で、薩摩切子が作られていたのはその後も含めて20年余りの短い期間。さらに残された資料も少なくすべてがゼロからのスタートだった。職人の手技を図録や文献のみで再現するのは不可能に近く、資料を元に角度や深さを変えて試作が繰り返されたという。また、ガスもなく限られた設備で作られていた幕末当時の切子は、同じ状態で作り続けることが難しく色味が一定ではない。斉彬が作らせた色を考証しつつ現代の私たちにも美しいと感じる色を追求した。そうして最初に復元されたのが猪口だ。ゼロがイチとなり、再び薩摩切子の歴史の歯車が動き始めた瞬間だった。小さな猪口作りによって培われた技術や知識を元に、皿、器、花瓶と少しずつ製品の種類も広がりを見せるようになった。
伝統の継承にとどまらない
薩摩切子にかける職人の想い
鎖国当時の日本にあって先進的な発想を持っていた島津斉彬。その想いを受け継ぐ島津興業では、復元だけではなく、新たな可能性を追求することが薩摩切子の発展につながると考えている。中でも大切にしているのが後継者の育成。2015年に復元30周年を迎えた際は、30年前に復元に携わった職人ではなくキャリア10~20年の職人たちが中心となって新作に取り組んだ。「職人が一人前に仕事をこなせるには10年はかかります。そこからさらに技術や感性を磨くことは一生の仕事。ですから次の30年を託す後継者を育てることは会社にも薩摩切子にとっても重要なことです」。時代を超えて人々を惹きつける薩摩切子。その絢爛豪華な酒器を日常的に愉しめるというのは現代に生きる私たちだからこそ味わえる愉悦。日本が世界に誇るその美に存分に酔いしれてみたい。
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