端麗な文様が際立つ「江戸染小紋」。東京にいまなお残る伝統工芸の一つだ。江戸には洒落者が多く存在したという成り立ちの面白さ、それに触発されて技を磨いてきた職人の技巧、布ものの持つ儚さが合わさって、醸成されるそんな染めものの魅力を、新宿区落合で「江戸染小紋」や「江戸更紗」を染め続けている染色工房二葉苑からひも解いていく。
庶民の欲求、職人の技から
何百もの茶色や鼠色が生まれた
100万もの人口を抱えていたと言われる大都市「江戸」。最先端のものが集まってきたというその場所で、染色の技法も飛躍的に発展した。世界でも類を見ない、数百年もの平和が続いた江戸の町では、武士も町民も大いにお洒落を楽しんでいたが、幕府が贅沢を禁じる法令を出す。そこから、着物に使える色などが制限されたことの逆手を取って、使用を許された茶や鼠、藍の中の微妙な色の違いを、染色職人が染め分け、団十郎茶や利休鼠など数百もの色が生まれる。「四十八茶百鼠」はそれを表す言葉遊びだ。遠くから見ると無地に見える「江戸染小紋」の美しく繊細な文様も、そんな洒脱な江戸の人びとの欲求に、職人が応える形で生まれた。かえって、非常に高度な染色の技を必要とする染めものとなっていったのが面白い。
細かく精緻な文様をムラなく
職人技が試される「江戸染小紋」
「江戸染小紋」は、もともと武士の着る裃(かみしも)の模様付けが発祥。小紋は着物の種類の一つでおしゃれ着だが、「江戸染小紋」だけは、紋を付ければ礼装としても着用できる格のある染めものだ。染める図柄を彫って型紙(伊勢型紙)を作り、その型の上から色を染める江戸の染色。均一な絵柄を大量生産できるため、人気のある柄をたくさん作ることができ、江戸の人びとのお洒落に一役買った。細かい模様を均一に一反の布に染めるには、数十回型を送っていかなくてはならない。継ぎ目がわからないよう重なりや隙間なく染めていくのは、職人の腕の見せ所。その柄行きの精緻さや文様の多様性が「江戸染小紋」の特徴だが、その分、見事な染めを出すには、職人の長い間の経験と熟練の技が必要不可欠だ。
江戸の町民文化の発展とともに
染色の技法もさまざまに花開く
「染めもの屋の仕事は、きれいに染めることはもちろん、いかに染まらないようにするかというマスキングのような技術が、それ以上に大事なんです」と、二葉苑4代目の小林元文氏。それが、もち米を使用した「糊防染(糊を使って色が染まらない部分を作る方法)」だ。この技法が開発されたことで、より細かいデザインを表現できるようになった。そして、その糊を落としたりと、染色に水は欠かせない。明治、大正になると、よりきれいな水の流れを求めて、染色職人が、落合に集まってくる。二葉苑もその一軒だ。元々反物を染めて着物を誂えていた二葉苑だが、江戸染色の技法と心を受け継ぎ、現代の生活にも合う、江戸の粋を折り込んだ小物やインテリアなども積極的に発信。人気を博している。
儚さの中に卓越した技と歴史が
染め上げられている江戸の染色
布ものは、金銀や大理石などの工芸品に比べると寿命が短く、数百年も前のものが、当時のままの色味や形で残っていることはほとんどない。身に纏ったりするものは、年を経ればボロボロになってしまう。とても儚い造形物なのだ。何年も使い込んで擦り切れてしまったがま口を持って、また新たなものを買いにきてくださるお客さまもいる。もう少し長持ちできたらと申し訳なく思いながらも、大切に愛用してくださる心が嬉しいと言う小林氏。「その儚さが染めもののいいところでもある。布の持ち味を愛おしく感じ、江戸の心意気を想いながら使ってくださったら、本望です」数百年前、どんな人がこの柄を好み、どんな暮らしをしていたのだろうと想像しながら柄を選び、慈しみながら使うのも一興だ。